最終更新日 2024年2月21日 by ガラスのハートを持つおっさん

さいたま市は埼玉県の県庁所在地で、平成13年に旧浦和と大宮、与野の3つが合併する形で誕生しました。
2年後には政令指定都市になり、平成17年には旧岩槻とも合併しました。
現在では関東圏の中でも中核都市として発展を続けています。

 

さいたま市の特徴

さいたま市という地名が有名なのは、距離的に東京に近いことや人口が多いだけではありません。
県庁所在地の中で唯一ひらがなで表記されていることが、初めて地名を知った人に大きな衝撃を与えています。
学生時代の社会科の授業で、県庁所在地を覚える際に他の地名よりも簡単に覚えられたという人も多いでしょう。
珍しいひらがな表記となった経緯には、ある市が関係しているといわれます。
埼玉県で県庁所在地の名称を決める時、市民の意思を反映させられるように公募が行われました。
その結果、最も多くの票を獲得したのは漢字表記の「埼玉市」でした。
「埼玉市」の獲得票数は7717票、2位の「さいたま市」は3821票と圧倒的です。
県名と県庁所在地が同じだと分かりやすいので、通常であれば問題なく1位の「埼玉市」が採用されます。
しかし採用に対して、行田市からの反対が出ました。
行田市は平成13年に合併する前に旧三市とは遠く離れている場所にあります。
映画「のぼうの城」やドラマ「陸王」で舞台となった地としては有名ですが、新しい県庁所在地との関係性は希薄なものでした。

 

行田市が反対した理由

当時の行田市が反対した理由は、埼玉のルーツが行田市にあるためです。
現在の行田市には前方後円墳や円墳がたくさん残されています。
それらは埼玉古墳群と呼ばれ、この場合の埼玉は「さきたま」と読まれます。
埼玉古墳群の中には稲荷山古墳が含まれており、ここからは雄略天皇の鉄剣が出土しました。
歴史的にとても重要な場所であり、近くの前玉神社では古墳に埋葬された人々を祀っています。
この前玉神社の「前玉」の読み仮名が「さきたま」であり、埼玉の由来です。
幸福を与える神様を祀っている場所という意味があり、とても縁起の良い神社名といえます。
読み仮名が「さいたま」に変わったのは、万葉集において漢字表記が変わったためと考えられています。
歴史が移り変わる中で1つの神社に付けられた名称が、郡へと規模が大きくなり「さいたま郡」が誕生しました。
明治4年に廃藩置県でさいたま郡が現在よく知られている埼玉県になりました。
この時周辺に存在していた忍県と岩槻県、浦和県の3つが統合されました。

 

何かと整備されている旧浦和のところに置くことに決まる

現代になって県庁所在地を作ろうとした時にある問題が発生します。
埼玉県は旧岩槻県の中心地に設置しようと考えましたが、交通アクセスが良くありませんでした。
関東圏を牽引していくであろう場所が不便なところに置かれるのは好ましくありません。
そのため何かと整備されている旧浦和のところに置くことに決まりました。
合併する前の旧浦和には「足立郡」も含まれており、埼玉のルーツとは全く関係ありません。
しかし他の2県を合わせれば面積的に埼玉県の影響が強かったので、そのまま浦和も一緒に合併し交通アクセスの良さから県庁所在地まで決定されました。
しかし元々はルーツが全く違う土地なので、ルーツである行田市と混同するのを避けるために「埼玉」という表記を変えてひらがな表記にしました。
多くの現代人はこれらの経緯を知らないために、旧浦和が他の合併された県とは異なるルーツを持っていることも知りません。
よって他の県庁所在地と比べて珍しい表記の「さいたま市」に特別感を抱きます。

 

現在の「さいたま市」はとても住みやすい地域

現在の「さいたま市」はとても住みやすい地域というイメージが定着しています。
買い物をするにも公共交通機関が多く、スーパーマーケットなどの商業施設がたくさんあります。
東京に行くのも便利な便が揃っているため、東京で勤務する人々のベッドタウンとしても優秀です。
全国では少子高齢化などで人口が減っていることが問題化している地域もありますが、転入超過数は全国で3位と移住する人も増えていることが分かります。
中では0歳~14歳の子どもが増えているため、ファミリー層が子育てを考えて移住していると推測できます。
子育て層から支持されているのは、教育に力を入れているためです。
平成28年度からは小学校から英語を学ぶ制度を取り入れました。
通常は中学3年間だけの英語学習も、小学1年生からスタートさせれば9年間じっくり学ぶことになります。
この独自で始められた「グローバル・スタディ」という取り組みは一定の効果が出ており、学力が全国でもトップレベルであると証明するデータも見られます。
国語や算数の正答率が高いだけでなく、「失敗を恐れずに挑戦する」「学校に行くのが楽しい」など、子どものメンタルを育む環境が整っています。

 

まとめ

さいたま市はみんながのびのびと暮らせるまちをコンセプトとしており、今後も子どもから大人まで住みやすい生活ができるように地域の活性化に努力していくことが期待できます。

 

出典元:田村亮介がさいたま市がロケ地になったドラマについて語る